Fukushima Report
7月16日(土)と17日(日)に、深谷市内の校長先生方と
福島県に研修旅行に行ってきました。
東日本大震災から5年以上が経過したことから、
復興も随分進んでいるのではという漠然とした思いをもっていました。
それは、4年前に、宮城県を石巻を中心に訪れており、
大変な状況ではありましたが、急ピッチで復興の取組が進んでいたからです。
しかし、実際に足を運んでみて、自分の認識があまりに不十分だったことを実感しました。
バスで国道6号線を、冨岡町、大熊町、双葉町と北上して行く・・・
道沿いには放射線量を示す線量計、
木立の彼方に福島第一原発の一部が見える・・・
すれ違う車はごくわずかで、信号はほとんど黄色に点滅・・・
国道沿いの店舗の割れたガラスの奥には、5年前のまま商品が並んでいるのが見える・・・
私たちは、津波で大きな被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区で、バスから降りました。
当日が卒業式で、はやく帰宅した中学生が何名も津波にのみ込まれた閖上中学校。
学校にいた児童は、全員校舎の屋上に上がり一人も命を落とすことがなかった閖上小学校。
ともにその校舎は残されていません。
小・中学校だけでなく、かつて家々が立ち並んでいた地域一帯が、ほぼ更地のようになったままです。命を失った中学生の名前が刻まれた碑と、襲ってきた津波の高さを示す慰霊塔の前で、私は言葉を発することができませんでした。
「沖に島があるため閖上には津波は来ない」という言い伝えを信じていたため避難が遅れたそうです。しかし、昭和8年にも津波で大きな被害があり、地震があったら津波に用心するように伝えた碑があったことが、後になって分かったそうです。伝えようとしたことが伝わっていなかったこと、自分たちに都合のいいように解釈してしまったり忘れてしまったりするのが人の常なのかもしれません。
東北の復興の状況は地域差が大きいとうかがいました。復興の進んだ地域だけを見て、東日本大震災を過去のものと早合点してしまっていなかったか、自らの浅はかさを恥じました。
事実から目をそらさないこと、自分の目で確かめることの大切さを実感した研修でした。