これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり。
如月(2月)の『論語』は、「自分の知っていることとは知っているとし、まだ知らないことは、知らないとはっきり区別する。これがほんとうに知るということだ」という意味の言葉です。
「知る」と「知らず・知らざる」とが繰り返されているので、暗唱するためには「知る」と「知らず・知らざる」とを区別して覚えていく必要があります。こうした言葉を覚える上での区別が、「知る」と「知らず・知らざる」についての意味の区別にもつながっていきます。
日本で古来行われてきた「素読」という学習法には、理解を促す秘密があるのですね。
ここでいう「知る」とは「分かる」と置き換えてもいいように思います。授業で子供たちに「分かりましたか?」ときくと、たいていの子供たちは「ハイ、分かりました!」と答えます。しかし、本当に分かっている子はそれほどいません。また「分かりません」といえる子もそれほどいません。
「知っている・分かっている」ことと「知らない・分からない」とをきちんと区別できるようにしていく、このような態度が、さらに新しいことを「知る・分かる」もとになるのだと、孔子は教えてくれているのです。
2月は、各学年の学習をまとめる時期に入ってきます。「知っている・分かっている」ことと「知らない・分からない」とをきちんと区別し、「知らない・分からない」ことを「知る・分かる」取組をする、そんな2月にしてほしいと考え、この言葉を如月(2月)の論語に選びました。