雨の秋分の日に想う
-雨の力・雨にも負けない強さ-9月22日、今年の秋分の日は朝から粒の大きな雨です。雨音で目覚めました。玄関から外の雨景色を眺めながら、昨日運動会の全体練習ができてよかったなと想いました。そして、土曜日は大丈夫かなという心配もしました。

我が家の玄関前の柿の木も柚の木も、雨にびっしょりぬれています。よく見ると、まだ葉と同じような緑色ですが、それぞれの実をたくさんつけています。「運動会」ということから考えると、やっかいな雨ではありますが、私たち人間をはじめあらゆる動植物にとって雨から得られる水はなくてはならないものです。「恵みの雨」でもあるということも忘れてはいけないと想います。

玄関脇の柚の木に9月のはじめにつがいの鳩が巣を作りました。
雌鳩でしょうか、それからずっと小さな巣の上に居続けています。きっと卵を温めているのでしょう。家を出る際と家に帰る際に、玄関で横の柚の木を見るようになりました。休日の日中に、雄と想われる鳩が餌を雌鳩に与えている姿を見たことがありました。それ以外は雌鳩が一羽で、向きを変えることはあっても、じっと、ずっと小さな巣で卵を温めています。その間には台風の影響で強い雨や風の時もありました。心配になって見に行った時も、何事もないように平然とあの小さな巣の上にじっとしていました。「生命をはぐくむ」という行為・営みの厳しさ・強さを、この小さな巣の上の鳩に教えられたように想っています。
「親」という漢字は、分解してみると「木の上に立って見る」となります。子供のことを少し距離をとって全体を冷静に見ることの大切さを、この漢字は教えてくれているようです。しかしそれは、「すぐ近くで何があっても守り・育てる」という親として何より必要な条件を満たした上で求められる冷静さや客観性なのでしょう。何にも代え難い愛おしさや何があっても守るといった「盲目的愛情」が親としての必要条件であり、「冷静さ」はよりよい親となるための十分条件なのでしょう。
「よりよい親になろう」という焦りのために、親としてまず求められるものを見失わないようにしなければという想いを、雨の秋分の日にいだきました。