2学期が12/23をもって無事に終了いたしました。保護者、地域の皆様には大変お世話になりました。行事の多い学期でしたが、子供たちの大活躍でとても感動の多い2学期でした。3学期は1/10からスタートします。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、2学期の終業にあたり、「命」について子供たちに話しました。また、担任からも「命の大切さ」に関する授業を行いました。校長講話は、「アハメド君」という少年とそのお父さんの話をしました。 『パレスチナの12歳の少年アハメドくんは、とってもわんぱく坊主で、そしてとっても心の優しい、友だちと遊ぶことが大好きな少年でした。その少年が友だちのパーティーに行くためにネクタイを買いに行こうと町の洋服屋さんに出かけた時、2発の銃弾を浴びました。一発はお腹に、そしてもう一発は頭に当たりました。撃ったのは、パレスチナと戦争をしていたイスラエルという国の兵士でした。撃たれたアハメドくんは、すぐに地元の病院に運ばれましたが、そこではもうどうすることもできませんでした。アハメドくんの父親は、なんとか息子を助けたいと、戦争をしている相手のイスラエルの大きな病院に息子を連れて行きました。しかし、そこでもどうすることもできず、医師からは、アハメドくんの体の一部を他の病気で困っている人のために使わして欲しいと言われてしまいました。その時、医師から、体は誰に使われるかはわからない。敵であるイスラエルの人のために使われることもあると言われてしまいました。アハメドくんのお父さんは、何と答えたでしょう。「そんなことありえない」「なんで息子を撃ったイスラエルのために息子の体を使わなくちゃいけないんだ」そう言いたくなりますね。しかし、アハメド君のお父さんは、「息子の体を病気の人のために使って欲しい」と言いました。
日本のあるお医者さんは、この話を聞いて、ぜひアハメド君のお父さんに会ってみたい。会って直接話を聞いてみたいと思ったそうです。それは、どうして自分の最愛の息子を奪ったイスラエルの人たちを助けるようなことができるのだろう、憎しみや悲しみや悔しさをもつことはないのか?自分の息子が誰かに命を奪われたら・・・と考えると、そんなことはできるはずがないと思ったからです。
そして、そのお医者さんはパレスチナに渡り、このアハメド君のお父さんに会いました。そして、思っていたことをズバリと聞いてみました。「どうしてそんなことができたのか?」お父さんは、こう答えたそうです。「海でおぼれている人を見かけたら、誰だって助けようと思うでしょう。その時におぼれている人に、どこの国の人か?民族は?宗教は?なんてことを聞かないでしょう。私は人として正しいことをしただけです。」
このお父さんの中にも様々な迷いがあったと思います。息子を奪われ、そして、その体を敵の国のために使うなんて・・・、でもお父さんは人を憎しみ続けることを選びませんでした。逆に人を愛することで、憎しみを超える方法を選びました。
このアハメドくんの心臓を受け継いだイスラエルの少女サマハさんは、人の命を救う医者になることを夢見て、今、一生懸命勉強しています。命をいただいたアハメドくんの分まで・・・。命は人から人へリレーしているのだと思いました。』
私たちの「命」もお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、ご先祖様、今までかかわってくれた多くの人たち、そして私たちが口にしている野菜やお肉、お魚など、いろんな人やものから命をいただき、命をリレーされてきました。たった一つしかない命、世界中で最も価値があるものこそ、私たち一人一人の命です。みなさん、命を粗末にしてはいけません。自分の命という宝物を自分自身で大切にしていってください。