今日は、深谷小学校の開校記念日 ~146回目 伝統のある学校~ 今日は、深谷小学校の146回目の開校記念日です。
「開校百周年記念誌」に書かれていることをもとに、深谷小学校について調べてみました。
以下に示すことは、すべて、この「開校百周年記念誌」からの抜粋です。
深谷小学校は
、明治6年(1873年)に深谷学校として開校しました。深谷町、西島村、田谷村の連合であり、児童数は約50名であったそうです。当時の深谷町の人口は、16,495人でした。
<明治15年 卒業証書> <明治40年 卒業証書> 高台院で始まり、
明治19年(1886年)に、深谷町西運寺に移転して、尋常小学深谷学校と改称したということです。また、西運寺分教場の太子堂で東大沼、西大沼、曲田、萱場在住の児童が約30名いたそうです。明治21年に尋常小学校深谷小学校と称したということです。
その後、
明治27年(1894年)に初代校長に 北爪義勝氏が就任し、明治33年3月まで続けてたそうです。明治27年は、日清戦争が始まった年です。
明治33年(1900年)のときの
児童数は511名、教員数は7名であったと書かれています。
明治42年(1909年)には、深谷男子尋常高等小学校と深谷女子尋常高等小学校とに分離したとのこと。
児童数は945名、教員数は19名。大正1年(1912年)には、児童数は男子女子合わせて1066名となりました。
<明治40年頃の児童心得> 大正7年(1918年)7月に、深谷男子・女子尋常高等小学校が廃止され、深谷町立尋常高等小学校が開設となりました。
<大正9年の時の写真(服装に注目してください。今と違いますね。)>
<大正12年の時の写真(男子だけで写っています)> 大正13年のときは、
児童数1666名、教員数33名となり、
昭和15年(1940年)には、
児童数2399名、教員数51名となりました。
<大正時代 校訓> <昭和46年 やくそく> <昭和3年度の写真(女子だけで写っています)> <昭和6年の時の写真(男子と女子が一緒に写っています)> 昭和16年(1941年)に、深谷町立深谷国民学校と改称され、
昭和21年(1946年)には、
児童数3296名、教員数63名の巨大校になったそうです。
昭和22年(1947年)に、深谷町立深谷小学校と改称され、児童数は2901名、教員数52名であったということです。
昭和25年(1950年)に学校給食調理場が新築され、給食が始まりました。
昭和30年(1955年)、深谷市の市政施行により、深谷市立深谷小学校と改称し、昭和31年(1956年)にプールができました。
昭和33年(1958年)、桜ヶ丘小学校新設により、児童390名が転出、
昭和36年(1961年)、深谷西小学校新設により、児童322名が転出しました。
昭和39年(1964年)、従来の校歌を廃止して新しい校歌を制定し、開校記念日を6月24日に制定し、深谷小学校愛唱歌を作成しました。
<昭和41年 旧正門> 昭和46年(1971年)、常盤小学校新設により、児童163名転出。
昭和48年(1973年)、開校百周年記念式典挙行。校旗の新調。斜走路設置。欅植樹。
昭和46年度の写真
昭和53年 旧講堂 昭和59年前校舎全景
昭和59年 前校舎玄関